個人サイトを公開して1か月、PV3だった日のこと
サイトを公開した翌日、アクセス解析を開きました。数字が出ていました。3。そのときどう感じたか、正確に言葉にしようとすると、少し難しいです。
公開した日のこと
football-jp.comを公開したのは2026年5月6日でした。数か月かけて作ってきたサイトが、ようやくインターネットに出た日です。SNSで告知して、noteに記事を書いて、Xにも投稿しました。「見てくれる人がいるかな」と思いながら、その日の夜はアクセス解析をずっと眺めていました。
公開した夜の気持ちは、「達成感」というよりも「緊張」でした。数か月間、手元の環境でしか動いていなかったものが、誰でもアクセスできる状態になった。自分以外の誰かが使ってみて、「壊れている」とか「わかりにくい」とか思われないかが気になっていました。日本時間の表示は正しいか。配信局の情報は最新か——こういう確認を、その夜だけで10回以上しました。問題は翌日です。
「3」という数字
翌朝、アクセス解析を開くと「3」と出ていました。1日のページビューが3。3人が来た、ということです。……もしかしたら、3人ではなく自分が3回開いた可能性もあります。
このとき、何を感じたかというと——思っていたほど、落ち込みませんでした。正確に言うと、「まあ、そうか」という感じでした。告知して初日は少し来た。2日目からは当然、下がる。検索エンジンにインデックスされるまでには時間がかかる。個人サイトとはそういうものだ、と頭ではわかっていた。でも、「3」という数字を実際に見るまでは、どこかで「もう少しあるかも」と思っていた自分がいたことも確かです。
「3」を見たあと、その日の残りは何をしたか。試合日程の更新をしました。「見られていないから作業を止める」という発想は、不思議と出てきませんでした。「3」という数字が最悪の底値を実際に体験させてくれたことで、「あとは上がるだけだ」という開き直りが来た気がします。
「3」が続いた日々
翌日は5だった。その次は8だった。そしてまた3に戻った。最初の2週間は、毎朝アクセス解析を開くのがルーティンになっていました。数字が大きければ嬉しい、小さければ「まあそんなものか」という受け止め。感情の振れ幅は、想像より小さかったです。
これは事前に「公開直後のPVはほぼゼロ」という情報をいくつか見ていたからだと思います。「知っていた」と「体験した」は違います。でも、知っていることで体験のショックは和らぐ。PV3の日々は、事前の知識が役に立った体験でもありました。
「誰かのため」と「自分のため」
PV3だった日に気づいたことがあります。自分はこのサイトを「自分が使うために」作った。でも公開した瞬間から、「誰かに見てもらいたい」という気持ちが自動的に生まれていた。それが少しずれを作っていました。
自分のために作ったなら、PVが3でもサイトの価値は変わらない。使いやすかったら、それでいい。でも公開という行為が、「評価されたい」という感情のスイッチを入れてしまった。PV3の日は、そのことに気づいた日でもありました。「作ること」と「公開すること」は別の行為なのかもしれない、とも思いました。
それでも続けた理由
3PVの日が続きました。それでも更新を続けたのは、毎日自分が使っていたからです。試合スケジュールを確認するために、football-jpを開く。データが入っていなければ更新する。誰かが見ていなくても、自分が使うサイトとして機能していた。
少し経って、検索でたどり着いた方がコメントをくれたりするようになりました。そのひとつひとつが、PV3の日の記憶とセットで嬉しかった。検索でたどり着いてくれた人が最初に現れたのは、公開から3週間後くらいでした。アクセス解析に「organic」という文字が出ていて、「ああ、やっと来た」という感覚は今でも覚えています。告知による流入ではなく、サイトが検索によって発見された——それがどれだけ嬉しかったかは、PV3の日々を経験した人にしかわからないかもしれません。
PV3から始まって、何が変わったか
最初の1週間は、毎朝アクセス解析を開くのがルーティンになっていました。2週目に入ると、アクセス解析を開く頻度が下がりました。「今日何人来たか」より「今日のデータは更新できているか」の方が気になるようになった。関心の重心が「評価されたいか」から「ちゃんと動いているか」に移ったということだと思います。「数字の多さ」より「誰がどうやって来たか」の方が、意味があると気づいたのもその頃です。
公開することの意味
個人でサイトやサービスを作って公開しようとしている人に、少しだけ伝えたいことがあります。公開直後のPVは、ほぼ確実に少ないです。それは作ったものの質とは関係がない。知られていないだけです。
公開することの意味は、「最初から多くの人に届く」ことではなく、「存在する状態になる」ことだと思います。PV0でも、サイトはあります。誰かがいつか検索したとき、そこにある。それが公開することの意味です。
PV3だった日のことは、今でも覚えています。あのときの「まあ、そうか」という感覚は、今のfootball-jpの土台になっている気がします。「存在し続けること」の方が、長期的には重要です。PV3の日から続けてきたその「存在し続ける」ことが、今日のfootball-jpを作っています。
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